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2007年11月10日

私たち・先祖の部落差別

仮に部落というものがなければ、
この日本はどうなっていたのでしょうか。

江戸時代、日本の社会階層は農民がその比重を多く占めました。
彼らは、士族の存在に不安感がありました。

また、商人たちは、建前上身分的にヒエラルキーが低い位置にありましたが、
普段の生活レベルは一般の農民たちよりも余裕のある生活をおくることができました。


毎年年貢を納めなければ手痛い「ペナルティ」を受けるというプレッシャー。
潜在的に日本の昔の農民たちには鬱屈した苛立ち、疲労感があったのではないでしょうか。

幕府は搾取する相手に対し、
より弱い存在、より軽視すべき存在として、
何の文脈もなく部落というものをでっち上げ、
そこに農民らの怒りの矛先を向かわせるという周到な自衛方法をとりました。

もちろん、しばしば百姓一揆という形で
農民の怒りが支配者側のほうに向いたこともありました。

私たちの先祖の時代の社会的差別にもう一度、
光を当ててみましょう。

私たちの先祖がどのような差別をし、どのような差別を受けたのか?
ここから、現代も消えない差別を考える知恵が得られると思います。

中世の時代。
京都市内の2、3の部落に中世河原者と呼ばれる人達がいました。

彼らは主に税金のかからなかった河原に住んで井戸掘りや壁塗り、行商などの仕事に携わっていました。
この中の山水河原者という人達は、銀閣寺や南禅寺などの庭園を作りました。

また、ハンセン病患者の方々や埋葬、死んだ牛や馬の処理、それに伴う皮革業に従事した人達も含まれます。

彼らは賤民と称され理不尽に差別されていました。

京都以外にも、摂津国や山城国の各1部落に、中世きよめ村という掃除などに従事する人達がいました。
近江国の13部落には中世の寺院の隷属人として働いていました。

人を貶めたり、人から何かを盗んだりしたのでもありません。

彼らのちょっとした差異を強烈に意識した周囲の人達が
意図的に差別しただけに過ぎません。

「他とちょっと違う」

日本の差別を考える上で重要な要素だと思います。

社会の下層にいた職人の一部の人達も
理不尽な差別を受けていました。

中世末期の皮革職人のほとんどがそうです。
死んだ牛や馬から皮製品を作るという生業を
周囲の人達は無知なまま、卑しいとか決めつける。

近江国の染色業者(青屋)と呼ばれた人達も差別の対象でした。
また但馬国、信濃国の若干の水運関係に従事する部落の人達も差別の対象とされました。

水利、田畑の番人の一部も差別を受けました。
上野国、常陸国の2部落の水利の番人、伊勢国の2部落の田畑の番人も差別の対象でした。

農民の一部にも不合理な差別がありました。
近世初頭の検知帳に「かわた」の記載がある地域の
人達も差別の対象とされました。
posted by nagas at 20:48 | 長崎 | 差別
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